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東京高等裁判所 昭和52年(う)2468号 判決 1978年7月19日

被告人 黒田富司

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮八月に処する。

ただし、この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人岩月史郎の提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官中野林之助の提出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用し、これに対し、当裁判所は次のとおり判断する。

控訴の趣意第一点(事実誤認の主張)について

所論は、被告人は本件大型貨物自動車を運転して原判示交差点を左折するに当り、交差点入口手前の停止線で停止し約三〇秒待つて信号が青に変つたのに従い、前方対向車の動静、左折方向路面の車両や横断歩道上の歩行者の動向、自車前部付近や左後方車両の状況等を直接及びサイドミラー並びにアンダーミラーで注視し、安全を確認のうえ時速五ないし六粁で前進し、交差点入口で殆ど停止の状況で更に直接及びサイドミラーで前同様の安全を確認して右同速度で左折に入つたものであるところ、被害者の自転車は初め被告人車の荷台後部を追随した後被告人の左側に併進し、次いで被告人車が左折合図を出して左折する態勢にあることを知りながら、その左側を時速約二〇キロメートルで追い越しを図り交差点手前で被告人車の死角に入つたゝめ、被告人はそれを発見できなかつたものであり、被告人は注意義務を尽し、過失はないのに、被告人が自車の左側及び左後方の安全を十分確認しなかつた過失があるとした原判決は重大な事実の誤認を犯すものである、というのである。

そこで、本件記録を調査し、当審における事実取調の結果をも併せ検討すると、被告人は、原判示日時、大型貨物自動車を運転して明和橋方面から東進し、東京都江戸川区西瑞江二丁目一四番地の交差点を左折北進して京葉道路方面に向かおうとしていたものであること、右交差点は東西は幅員五・二メートルの舗装車道とその南側に二・六三メートルのコンクリート有蓋溝の歩道及びその北側に〇・二メートルの無蓋U字溝の設けられた道路と、南北に幅員七メートルの舗装車道とその東側に四・六メートルのコンクリート有蓋溝の歩道及びその西側に〇・二メートルの無蓋U字溝の設けられた道路とが交差し、東、西、及び北方の道路には交差点入口に接して、また南方の道路には有蓋溝の南端に接してそれぞれ四メートルの横断歩道とその後方三メートル離れて停止線とがあり、西方道路は一方通行であるため停止線は全幅に、他は相互通行であるため左側のみに設けられ、信号機によつて交通整理が行われていたこと、右大型貨物自動車は、いすゞ五二年式ダンプの一〇・二五トン積みで右ハンドルの、長さ七・五〇メートル、幅二・四六メートル、高さ二・九五メートルのものであり、本件交差点の北西隅の溝枠に後輪を懸けたり、北側道路の歩道柵に接触しないで左折するためには運転技術上道路北側端から約二メートル位で自車前輪を交差点入口に入れなければならないこと、被告人は当日一〇ないし一五キロメートルの時速で東進し、右交差点の前示停止線手前四四メートルで対面信号が黄色になるのを認め、その頃方向指示器で左折の合図をし、その四秒後信号が赤になるのを認めつつ進行し、車道左側端から自車左側まで約二メートルの距離を保ち、右停止線に自車前面を接して停車し、青信号となるまで三〇秒余り待機したこと、信号が青に変つた後、被告人は左サイドミラーによつて左方及び左後方を見て左側に接近する自転車等の軽車両がないと判断するとともに、ギヤーをセコンドに入れ時速五ないし六キロメートルで、前進を始め、ハンドルをやゝ右に切るようにして交差点入口にかゝり、一瞬加速をやめ、交差点東側道路上の対向車が停止のまゝでいることを確認し、同時にサイドミラーによつて前同様左方及び左後方の安全を確かめ、左にハンドルを切つて前進したが、約一・三メートル進行した×地点(交差点入口北から一・四五メートル、西から〇・六メートル)で被害者田島よし江(当時五〇年)がハンドル後方に装着した座り台に田島かおり(当時三年)を同乗させて運転していた足踏自転車に自車左前部を衝突させて、自車台車下に巻き込み、左前輪で轢過して右ゆかりを即死させ、よし江に加療六ヶ月を要する左大腿部、膝部裂創等の傷害を与えたことを認めることができ、原審公判廷における証人田島よし江の供述記載中、衝突地点は×地点より約二・五メートル北東寄りと思うとの部分は、事故を目撃していた原審証人伊藤将輝、同大出孝の各供述記載に照し採用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

ところで、原判決は、被告人が右交差点を左折するにあたり、自車左側と道路側端との間隙に自転車等が進行していることが予想されたのに、自車の左側及び左後方の車両の有無、安全を確認すべき義務を怠り、これをしないまゝ左折進行した過失を犯した旨判示するものゝ、具体的にどのような方法で安全の確認が可能であり、またそれを行なうべきであつたかについての判断がなされていないのであるが、右過失は対向右折車両に気をとられたことに因る旨も判示するから、被告人が交差点入口に自車を進め、次いで左にハンドルを切る際の注意義務を云うものと認められ、また、自車を交差点に進入し、対向右折車両を待機させている状況のもとで、助手を同乗させていない運転者に運転席を離れて左側窓から自車の左方及び左後方の安全を確認すべきであるとすることは交通の実情に照して相当でなく、従つて右の注意義務は運転席にあつて行うことの可能なサイドミラー及びアンダーミラーによる注視、確認を意味し、両ミラーによつて被害者らの乗る自転車を現認できたのにこれを怠つたとするものと解せられるところ、前記原審証人伊藤将輝、同大出孝の各供述記載、同人らの各検察官に対する供述調書、司法警察員の作成した昭和五二年五月二九日付、六月二日付(二通)各実況見分調書及び当審証人田島よし江(第二回)の証言を総合すれば、田島は交差点西側の横断歩道にかゝつた付近から、被告人車の左側一メートル足らずのところを、その前輪よりやゝ前に自転車の前輪のある位置関係で併行して極めてゆつくりした速度で進んで来て、被告人車が右に向きをかえた直後衝突したことが明らかで、右位置関係では被告人がハンドルを左に切る直前頃に左方ないし左後方をバツクミラー等で見たとしても、右田島及びその自転車は死角に入り、これを確認することはできなかつたと認められるから、その確認が可能であることを前提としての注意義務の違反があるとする原判決の判断は誤りといわなければならない。

しかしながら、前掲各証拠に当審で取調べた司法警察員の作成した昭和五三年五月一七日付捜査報告書(添付図面を含む)を併せ検討すると、右田島よし江は、当日本件交差点手前約五〇〇メートル付近から左折して東進し、道路左側の無蓋U字溝右端から〇・七メートル位のところを時速一〇ないし一五キロメートルで進み、やがて本件交差点の信号機が赤であるのに気付き、間もなく交差点入口から二一メートル位手前付近で青信号に変るのを認め、同様速度で進行し交差点入口手前の横断歩道にかゝる付近でゆつくりした速度に緩め、交差点入口付近で足を着けてすぐ止れる程度にさらに速度を落して交差点内に入つたことが認められる。所論は、田島よし江の当審段階での記憶は現在有蓋となり通行も可能となつたU字溝を前提とするもので、本件当時はそれが無蓋であつたことを考えると、心理的にも転落のおそれを感じてU字溝端から相当離れて進行したと解すべきであるから、道路中央寄りを被告人車の後部にかくれる位置で、しかも時速二〇キロメートル位で進行して来たと認むべきである旨主張し、証人田島よし江の原審公判廷での供述記載では、同人は本件衝突直前に被告人車が右から急に近付いたのを記憶するだけでその前の段階で被告人車を見た記憶も、またどの付近で本件道路に入つたかの記憶も失つていたが、交差点入口から約二〇メートル手前で信号が青色に変つた時の速度は毎時二〇キロメートル位で、そのまゝの速度で交差点を横切ろうとしたと供述していたのであるが、当審では、その後直接現場に出向いて歩いて見た結果記憶を若干喚起し、本件道路に入つたのは本件交差点手前約五〇〇メートルであり、速度は一〇ないし一五キロメートルで東進し、交差点手前約二一メートルの付近で信号が青に変つた後もそのまゝの速度で進んだが交差点内ではすぐ足が着ける程度にゆつくり進んだ。衝突前被告人車がすぐ右に迫つて一時停り、すぐ進んでゆつくり引きずられた旨証言を訂正し、なお同証人は、原審でも当審でも道路左側のU字溝から〇・七メートル位離れて進んで来た記憶は正確であると証言するから、前記各目撃証人の証言に照しても同証人の当公廷における証言は措信するに足り、右認定に反する被告人の供述および弁護人の所論は採用しない。従つて、被告人は前記交差点入口手前約七メートルに設けられた停止線で停車し、信号が青に変つたのを認めた時点で、田島よし江はその後方約一四メートルの地点にあり、被告人がギヤーをセコンドに入れながら左サイドミラーで左後方を見て発進するまでの約二秒位の間に数メートル近付き、かつ被告人車の死角外にあり、被告人が注視すれば十分これを左サイドミラーで確認できたことが明らかであり、それにも拘らず、被告人はこれを看過して発進し、田島はやがて被告人車の左側に併び、その死角に入つたまゝ×地点に到つたものと認められる。そして被告人は平素の運転経験上、本件大型貨物自動車の前部左側部分に相当大きい死角のあることは熟知していたものであり、右自動車によつて左折する際自動車の左側に間隙が生じ、そこに自転車等の軽車両等が併進して来て死角に入ることも予想できたことであり、また、方向指示器によつて左折の合図を示していたとしても、その後続の軽車両等が右の間隙を右自動車の左側から青信号に従つて直進し、もしくは左折することは交通法規上なんら妨げないことも明白であるから、運転助手を同乗させることなく本件大型貨物自動車を運転し、その構造および交差点の道幅等から同交差点を左折するための必要上、道路左端から約二メートルの間隔を置き、交差点入口から七メートル手前に設けられた停止線に停車して約三〇秒青色信号の現示を待つていた被告人としては、右一時停止中、左サイドミラーを注視して、被告人車の左後方から進入して、被告人車の発進後その死角に入り込むおそれのある軽車両の接近の有無を捕捉確認し、これとの接触衝突を回避するための適宜の措置をとりつつ、発進し、左折を開始する業務上の注意義務があり、被告人は右義務を怠り、停車中はもとより発進時においても被害自転車を見落して発進した過失があるものといわなければならない。そうすると前示のように交差点内での左折直前の左方及び左後方の安全確認義務違反を理由に被告人の過失を認めた原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があり、破棄を免れない。論旨は右の限度で理由がある。

よつて、控訴趣意のその余の点(量刑不当の主張)についての判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、当審において変更された訴因に基づき、当裁判所において直ちに次のように判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、実兄の経営する土木有限会社に自動車運転手として勤務し、自動車運転の業務に従事していたものであるが、昭和五二年五月二九日午後二時二五分頃、大型貨物自動車を単独で運転して、東京都江戸川区西瑞江二丁目一四番地先の交通整理の行われている交差点を京葉道路方向に左折する考えで、明和橋方向から車道幅五・二メートルの一方通行の道を東進して右交差点に近付いたが、右自動車は車長七・五メートル、幅二・五六メートル、高さ二・九七メートルであつて、右交差点出口の北側も幅七メートルでその北西隅に無蓋の角型溝があり、右自動車後輪を同溝にかけない様に左折するため、停止信号により右交差点入口から七メートル手前に設けられた停止線直前で停止する際、車道端から二メートルの間隔を置き、約三〇秒待機したが、右自動車の左側の前部からやゝ後方にかけて相当広範囲にわたつて運転席からの死角があり、被告人はそのことを知悉していたのであるから、前示のような状況で一時停止している間、被告人は被告人車の後方からその左側の間隙を前進し、被告人車の発進し左折するまでの間にその死角に入つたまゝ直進ないしは左折する軽車両のあることを予測し、左サイドミラーによつて左後方からこのような軽車両等の接近の有無を十分確認し、このような車両があれば前方死角外に出るまで発進を待ち、又は自車の速度を落し、或いは左折を一時待つて進路を譲る等して併行前進する車両と接触、衝突することのないようにすべき注意義務があるのに、これを怠り、信号機が青に変つたのに気をとられ前進操作をしながら左サイドミラーを一べつしたゞけで、その頃被告人車の左後方七、八メートル付近に近づいて来ていた田島よし江(当時五〇年)が自転車のハンドルの後に装着した座り台に田島かおり(当三年)を同乗させて運転しているのを全く看過し、そのような軽車両が無いものと軽信し、時速五ないし六キロメートルで発進した過失により、右交差点入口付近でやゝ右にハンドルを切つて、加速をやめ左サイドミラーで左方及び左後方を見たものゝ既に死角にあつた右よし江の自転車を発見できないまゝ、安全と考えてさらに微速で前進して右自転車に自車の左前部を衝突させ、同自転車を転倒させて自車の左車台下に巻き込み、左前輪で轢過し、同乗していた右かおりを即時同所で胸腔内出血を伴う胸腔内臓器損傷により死亡するに至らしめ、さらに右よし江に対し、入院約二ヶ月、その後の加療約四ヶ月を要する右大腿部、打撲裂創等の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為中、判示田島かおりに対する業務上過失致死の点、判示田島よし江に対する業務上過失傷害の点はいずれも刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当し、以上は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条に則り、犯情の重い判示田島かおりに対する罪の刑に従い処断することとするが、本件は死角の大きい貨物自動車を運転する者として、左折時の一時停車中に自車の左側に進行し死角に入り込むおそれのある軽車両を対面信号の青色に変ることに気をとられて左サイドミラーで看過してしまつたという基本的な注意義務を怠つた過失に因り貴重な幼児の一命を失わせ、その祖母に重傷を与えた結果も大きい事案ではあるが、被告人は右の一時停止の前にも、左後方を確認し、前示のように左折開始のときにも同様確認に努める等安全運転に配慮していたことも認められ、なお被害者田島よし江は被告人車の後方から追いつき併進の形になつたのに交差点内での衝突直前まで被告人車に気付かず、もとよりその方向指示器による左折合図にも注意していなかつたのであつて、幼児を同乗させた自転車で交通量も少くない交差点を横断するものとしては、いさゝか不注意であつたことも窺われ、また被告人はかおりの遺族とは総額一五〇〇万円を支払い、よし江とは医療費のほか一八〇〇万円を支払うことでいずれも円満に示談が成立し、被害者らも被告人のために寛大な刑を希望し、なお被告人には従前何らの前科犯罪歴もないことその他妻および三人の子供を抱えての被告人の家族関係等諸般の事情に照し、所定刑中禁錮刑を選択し、所定刑期範囲内で被告人を禁錮八月に処し、前叙の犯情に鑑み同法二五条一項に従い、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、なお刑訴法一八一条一項本文を適用し、原審における訴訟費用は全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 小松正富 千葉和郎 鈴木勝利)

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